寿安堂

佐伯理一郎の系譜

薩摩島津の異常性と佐伯惟定

理一郎の系譜、阿蘇の佐伯氏の歴史を大雑把に言うと、大友に豊後を追われ、肥後国阿蘇に落去し阿蘇大宮司家に庇護を受け、阿蘇家と共に島津に滅ぼされた歴史である。時は天正年間、秀吉の九州平定直前である。 本家佐伯家でも耳川の戦いから豊薩合戦の間、幾…

惟廣と惟弘

阿蘇の佐伯氏の初代と定められる佐伯惟輝、そしてその5代前の先祖とされる豊後佐伯氏の佐伯惟廣。この二人が佐伯本家の家系図に見当たらないことは前述のとおりである。 佐伯家文書に曰く、 佐伯因幡守惟輝は、豊後国媼岳(祖母山)守護神之陰系大神姓佐伯二…

資料入手

前回の更新からまた1年くらい間が空くかと思っていたら、奇跡的に2日後に時間が取れたのであれこれ記しておく。 入手したかった資料が3点ネットで入手できた。(佐伯志以外の2冊は注文し、到着待ち。) ・ 訓読 豊後国誌 (太田由香、松田清) www.kinokuniy…

宮地佐伯家の墓地

理一郎が残した資料の中に、「現在宮地墓」と書かれた落書き(?)が残されている。 以下の記事に書いたように、墓地の場所に目星はついている。 juandou.hatenablog.com 航空写真で見るとこんな感じ。 ピンクで囲った場所が墓地全景。青丸で囲った部分に阿…

佐伯氏と怪異伝説

佐伯に纏わる伝説は、豊後大神氏の祖、大神惟基が蛇神の子という言い伝えから始まり、そのほかにも様々な怪異が幾たびも佐伯の歴史に登場する。 以下は平家物語、繯巻記より。(”おだまき”記、「緒環」とも) 抑(そもそも)緒方三郎惟栄と云うは大蛇の末な…

2018年2月18日議事録: 佐伯史談会 佐藤巧会長

2018年2月18日に大分県佐伯市を訪問し、大分の郷土史研究会である佐伯史談会、佐藤巧会長と面談をさせて頂く機会を得た。 以下、議事録。 ---------------------------- 20180218 佐伯史談会 会長 佐藤巧氏 豊後佐伯氏の菩提寺が長らく不明であったが、佐伯…

2018年2月17日議事録:阿蘇神社権禰宜 池浦秀隆氏

2018年2月17日に阿蘇神社を訪問し、権禰宜であり、同社の学芸員でもおられる池浦秀隆氏と面談をさせて頂く機会を得た。 以下、議事録。 ---------------------------- 20180217 阿蘇神社 権禰宜 池浦秀隆氏 (冒頭に阿蘇神社宮司、阿蘇治隆氏が挨拶に見えて、…

山本十郎『阿蘇魂』

寿安堂でもたまに引用しているが、熊本県の郷土史家、山本十郎が晩年に記した『阿蘇魂』という本がある。佐伯史談会会長、佐藤巧氏より阿蘇佐伯氏にまつわる部分の写しを提供いただいたので、下記にその一部を書き起こしたい。 尚、この本を入手したいと思っ…

さえきとさいき

佐伯理一郎に関する研究は同志社大学やクリスチャン界隈においてそれなりに進められているようであり、ネット上にも多く情報が出回っている。 しかし、そのほとんどにおいて佐伯理一郎は「さえき りいちろう」と表記されているが、彼は、少なくとも晩年にお…

佐伯家系図写(理一郎著)その弐

さて、佐伯家家系図写はまだ続く。 ただし、ここからは宮地佐伯家初代を楢木野孫兵衛惟秀と定め、新しい体裁で記録が続く。 家督を継いだ長子だけではなく、妻や兄弟の名前が登場するようになり、情報量が格段に増える。おそらく理一郎本人の記録や、阿蘇に…

佐伯家系図写(理一郎著)その壱

以下は理一郎の残した家系図資料の中で最もよくまとまっていると思うものである。 ここで「系図写」とはじまるまでの前段は、字が汚すぎて真面目に読んでいない。(というか読めない) 「佐伯家祖先の故跡」と読める部分は大神惟基の大蛇伝説、緒環(おだま…

はじめに

今より遡ること25年前の1993年頃、私の父が今はなき京都産院で古ぼけた一つの箱を見つけたことからこの物語は始まる。 京都産院とは、明治時代の海軍医・産科医であった佐伯理一郎(さいき りいちろう)が設立した病院で、佐伯理一郎とは私の曾祖父にあたる…