寿安堂

佐伯理一郎の系譜

宮地佐伯家の墓地

理一郎が残した資料の中に、「現在宮地墓」と書かれた落書き(?)が残されている。

 

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以下の記事に書いたように、墓地の場所に目星はついている。

juandou.hatenablog.com

 

 

 

航空写真で見るとこんな感じ。

 

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ピンクで囲った場所が墓地全景。青丸で囲った部分に阿蘇宮司家の墓が集中している。青丸の北側を散策したことがあるが、ほとんど坂梨家の墓。佐伯と書かれた墓は1基しか発見できず、その時は時間が無くてギブアップした。良く考えたら阿蘇家家臣の中で当家の順位(?)は8位くらいのはず。阿蘇宮司家のすぐそばに筆頭家臣坂梨家の墓があるのは当たり前で、三下家臣の当家の墓なんてそもそもこのピンク枠の中に存在するのだろうか。

 

 

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もう少し広角で見てみる。ピンク円が上記阿蘇宮司家の墓地周辺だが、オレンジで囲った場所にも墓地があることが分かる。やってみると分かるが、墓地は航空写真でかなり簡単に見つかることを学んだ。ということで、宮地佐伯家の墓はこのオレンジのどこかではないかと考えている。暇さえ出来ればフィールドワークに行くのだが、なかなか叶わない。(そもそもブログ更新する暇もないし。)

 

それにしても理一郎の落書きは字が汚すぎて救いようが無いが、それでも中央に千地子と書いてある墓が確認できる。千地子は筆頭家臣坂梨家から婿養子にやってきた衛門太の妻で、、、、おそらく衛門太も同じ墓に眠っているはずだが、ひょっとして墓石には千地子の名前しか書いていないのか?生前の衛門多の苦労、推して知るべしである。

 

さて、今日はここまで。

また次回の更新は一年後くらいになるかもしれないが、私が生きている間は寿安堂も続く。