寿安堂

佐伯理一郎の系譜

佐伯理一郎

惟廣と惟弘

阿蘇の佐伯氏の初代と定められる佐伯惟輝、そしてその5代前の先祖とされる豊後佐伯氏の佐伯惟廣。この二人が佐伯本家の家系図に見当たらないことは前述のとおりである。 佐伯家文書に曰く、 佐伯因幡守惟輝は、豊後国媼岳(祖母山)守護神之陰系大神姓佐伯二…

宮地佐伯家の墓地

理一郎が残した資料の中に、「現在宮地墓」と書かれた落書き(?)が残されている。 以下の記事に書いたように、墓地の場所に目星はついている。 juandou.hatenablog.com 航空写真で見るとこんな感じ。 ピンクで囲った場所が墓地全景。青丸で囲った部分に阿…

2018年2月17日議事録:阿蘇神社権禰宜 池浦秀隆氏

2018年2月17日に阿蘇神社を訪問し、権禰宜であり、同社の学芸員でもおられる池浦秀隆氏と面談をさせて頂く機会を得た。 以下、議事録。 ---------------------------- 20180217 阿蘇神社 権禰宜 池浦秀隆氏 (冒頭に阿蘇神社宮司、阿蘇治隆氏が挨拶に見えて、…

さえきとさいき

佐伯理一郎に関する研究は同志社大学やクリスチャン界隈においてそれなりに進められているようであり、ネット上にも多く情報が出回っている。 しかし、そのほとんどにおいて佐伯理一郎は「さえき りいちろう」と表記されているが、彼は、少なくとも晩年にお…

佐伯家系図写(理一郎著)その弐

さて、佐伯家家系図写はまだ続く。 ただし、ここからは宮地佐伯家初代を楢木野孫兵衛惟秀と定め、新しい体裁で記録が続く。 家督を継いだ長子だけではなく、妻や兄弟の名前が登場するようになり、情報量が格段に増える。おそらく理一郎本人の記録や、阿蘇に…

佐伯家系図写(理一郎著)その壱

以下は理一郎の残した家系図資料の中で最もよくまとまっていると思うものである。 ここで「系図写」とはじまるまでの前段は、字が汚すぎて真面目に読んでいない。(というか読めない) 「佐伯家祖先の故跡」と読める部分は大神惟基の大蛇伝説、緒環(おだま…